- 守備は“地味で”“退屈”なのか?
- エレニオ・エレーラとは誰だったのか
- インテルと現代的カテナチオ
- マルディーニに宿った“守備の哲学”
- 守備の美しさが、戦術にファンタジスタを呼び込んだ
- いまも“鍵”の美しさを見ている
守備は“地味で”“退屈”なのか?
守備は楽しいのか?
この問いは、サッカーを長く愛する者たちの中でも意見が分かれる。
華麗なドリブル、ゴールラッシュ、美しいパスワーク──それに比べれば、守備は地味だ、退屈だ、そう言われてきた。
だが、それは事実なのだろうか。
カテナチオ──イタリア語で「閂(かんぬき)」。
これはただ引いて守る戦術ではない。
相手の呼吸を読み、
スペースを潰し、
わずかな隙を与えない。
そして、
奪ったボールを一気に縦へ、
反撃に転じる。
そこには、構造があり、知性があり、規律がある。
守備は「受け身」ではなく「意思」である。
この哲学を戦術として昇華させた男がいた。
その名は、エレニオ・エレーラ。
エレニオ・エレーラとは誰だったのか
1910年アルゼンチンに生まれ、若くしてフランスに渡ったエレーラは、選手としてのキャリアを経て指導者の道へと進んだ。
戦術家として名を挙げたのは、スペインとフランスでの指導経験。
だが、その名が歴史に刻まれたのは、1958年にインテル・ミラノの監督に就任してからだった。
エレーラは、選手の体調・心理状態・私生活にまで踏み込み、「戦う集団」を築き上げた。
科学的トレーニング、モチベーション管理、緻密な試合設計──彼のアプローチは、当時の“情熱と気合”が主流だった監督像を一変させた。
彼の代名詞、それが「カテナチオ」である。
インテルと現代的カテナチオ
1960年代、エレーラが率いたインテルは“グランデ・インテル(偉大なるインテル)”と呼ばれ、欧州を制覇した。
当時の陣形は4-3-3。
ただし、実際には中盤の選手を下げて守備ラインを厚くし、リベロ(スイーパー)を活用することで、可変的に5バックに見える構造を取っていた。
だが、それはただ守るための仕組みではなかった。
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ポジショニングで相手を誘導
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トラップの連動で奪取
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カウンターにおける縦の推進力
この3拍子を整えたとき、守備は“流れを断ち切る術”ではなく、試合を操る術になった。
ファッケッティのオーバーラップ、
ルイス・スアレスの展開力
マッツォーラの鋭さ。
彼らが作り出したのは、まさに“規律ある攻撃”だった。
マルディーニに宿った“守備の哲学”
「タックルは失敗の証」
これは、イタリアのレジェンドDF、パオロ・マルディーニの名言である。
彼の守備は、常に予測に満ち、冷静で、美しかった。
身体をぶつけるのではなく、空間を読み、時間を奪う。
守備とは、ただ止めることではない。
その選手が存在することで、相手に“打つ手をなくさせる”ことこそが、本当の芸術だ。
マルディーニは、まさにエレーラの遺伝子を引き継いだ、守備の詩人だった。
守備の美しさが、戦術にファンタジスタを呼び込んだ
面白い事実がある。
イタリアは“守備の国”と呼ばれる一方で、
最も多くのファンタジスタを生んだ国でもある。
ゾラ、バッジョ、デル・ピエロ、トッティ、カッサーノ…バロテッリ…
なぜなのか?
Back to 2006, and of course it’s Alessandro Del Piero busting a gut to finish a stunning Italian counter-attack with aplomb. pic.twitter.com/3OX7R2HVTd
— These Football Times (@thesefootytimes) November 16, 2022
それは、守備によって構造が保証されていたからである。
組織が整い、守備が整備されていたからこそ、1人の自由人をピッチに置く余裕があった。
守備があるから、自由が映える。 規律があるから、創造が躍動する。
エレーラのカテナチオは、攻撃のための守備だった。
だからこそ、そこから生まれたファンタジスタは、美しく、儚く、輝いた。
いまも“鍵”の美しさを見ている
時代は進んでも、戦術は進化しても、サッカーの本質は変わらない。
勝つために守る。
魅せるために攻める。
そのバランスの中で、守備という芸術は、いまもピッチで描かれ続けている。
守備に美を、攻撃に夢を。
エレーラがかけた閂(かんぬき)は、今も世界のどこかで、静かに響いている。
カテナチオは、死なない。
なぜなら、それは“信念”だからだ。