FANTAHOLIC

美しくなければ、Footballじゃない

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ファンタジスタの血統──ジダンやシェルキが纏う、北アフリカの美学

ジダン、ベンゼマ、ナスリ、フェキル、マフレズ、シェルキ…

なぜ、北アフリカにルーツを持つ選手たちは、これほどまでに
“自由で、美しい”ファンタジーなプレーを見せる選手が多いのか。

その答えのひとつは、彼らの深い文化的背景にある。

北アフリカの地には、古来よりベルベル人、あるいはアマジグと呼ばれる「自由な民」が生きてきた。
(※彼ら自身は“アマジグ=自由な人々”と呼ぶことを好む)

この“アマジグ”という言葉は、「自由の民」という意味を持ち、その思想は彼らの生き方や表現に深く根ざしている。

決まった形に縛られず、自らの感性に従って生きる──

それはまさに、ファンタジスタという存在そのものに通じる精神だ。

彼らの文化は、過酷な自然と共にある遊牧民的な生活様式から生まれたものであり、この生活では、定型や秩序ではなく、即興の判断と柔軟な身体性が尊ばれた。

音楽には独特の抑揚とリズムがあり、動きにはしなやかな緩急が宿る。

こうした文化的下地は、やがてフランスの地で育つ北アフリカ系の選手たちの"プレー"にも色濃く反映されていく。

第1章:Banlieueという“表現の学校”

ジダン、ナスリ、シェルキ──彼らは皆、フランスの郊外(Banlieue)と呼ばれる地域で育った。マルセイユ、リヨン、パリの外縁に広がるその街には、移民の家族が多く暮らしている。

日々の遊び場は、街角の広場。

コーチングも戦術もない。
必要なのは、「誰よりもカッコよく抜く」こと。

そのためのドリブル、そのためのトリック。
ここには、自由と自己表現こそが評価される美学がある。

サッカーは技術であり、競争であり、そして何より“表現”だった。

第2章:「見えない壁」を越える、静かなレジスタンス

外から見ると、
北アフリカ系、アフリカ系は🇫🇷に溶け込んだと思われがちだ。

ジダンやベンゼマ、マケレレ、ポグパのような成功例もある。

だがその裏には、依然として根強い構造的な差別や不平等が横たわる。

就職活動では名前で不利になり、警察からの職務質問が日常で、肌の色やアクセントが「フランス人らしさ」から外れているとされる。

だからこそ、サッカーが「証明の場」になる。

自分の名前、自分の身体、自分のボールタッチで、世界に自分を示す。
その切実な想いが、彼らのプレーを唯一無二の芸術に変えていく

第3章:フランス的個人主義との“化学反応”

アマジグの文化は「自由と誇り」を重んじる。
共同体の中での合意、独自の美学、誰かに決められない生き方。

一方でフランス社会は、フランス革命以降「個人主義」や「自己表現」を美徳としてきた。

アルジェリアの「自由と誇り」
フランスの「個人主義」
この2つの思想が融合するとき、選手たちは“型破り”で“孤高”な存在になる。

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文化が生んだ魔法──代表的な選手紹介

選手名 ルーツ 特徴
ジネディーヌ・ジダン アルジェリア フランスの美の象徴。トラップとターンは芸術。
ハテム・ベン・アルファ チュニジア 圧倒的な個人技とエゴイスティックな美学。
サミル・ナスリ アルジェリア 狭いエリアで踊るようなボールコントロール。
リヤン・シェルキ アルジェリア 自由すぎる発想。17歳で完成されたファンタジスタ。
カリム・ベンゼマ アルジェリア ストリートと知性の融合。自己表現と献身のバランス。
リヤド・マフレズ アルジェリア 緩急とトリックを極めた技巧派ウインガー。
 

美しさの背景にあるもの

ピッチの上では、肌の色も、名前も、宗教も関係ない。

あるのは「何ができるか」。

そして彼らは、創造性という刃で、世界に“自分”を刻みつけてきた。

北アフリカというルーツと、フランスという社会の狭間で揺れながらも「美しいサッカー」を貫いてきた彼らの姿は、 愛さずにはいられない。

彼らが紡いだプレーの軌跡は、

サッカーを超えて、「表現の尊さ」を教えてくれる。

サッカーを通じて、世界を知り、教養を深め、
それを広めることで、世界平和を1mmでも考える人が増えるよう

これからも頑張ります。


次週、
「フランスのファンタジーとは意味が違うイタリアのファンタジー」