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美しくなければ、Footballじゃない

『失われた王座の真実──カルチョポリ、ユヴェントスは本当に「不正」を犯したのか』

2006年、夏。

イタリア国民がワールドカップ優勝の歓喜に沸き立つ裏側で、国内サッカー界は音を立てて崩壊していた。
絶対王者ユヴェントスを頂点とした「システム」が、盗聴された電話の音声によって暴かれたとされる史上最大のスキャンダル──カルチョポリ

ユヴェントスはスクデットを剥奪され、奈落の底(セリエB)へ堕ちた。
黒幕とされたGM、ルチアーノ・モッジはサッカー界から永久に追放された。

だが、本当に物語はそれほど単純だったのだろうか。
巷で囁かれる「審判買収」は、実は存在しなかった。
そして断罪した側にも、同じ影が差していたとしたら。

これは、勝者によって語られた歴史の裏側に光を当て、失われた王座の真実を問い直す物語である。

1. 「カルチョポリ」とは何だったのか?

2006年5月に発覚したこの事件は、イタリアサッカーの根幹を揺るがした。


トリノ検察が主導した捜査の核心は、クラブ幹部と審判協会関係者との間の電話盗聴記録。
中でもユヴェントスのGM(ゼネラルマネージャー)であったルチアーノ・モッジと審判指名委員会のパイレット氏との会話が、決定的な証拠とされた。

会話の内容は、特定の審判を割り当てるよう求める、あるいは特定の判定を非難するといった、試合の公正さを歪めかねないものだった。

スポーツ裁判が下した判決は苛烈を極める。

  • ユヴェントス:2004-05、2005-06シーズンのスクデット剥奪。セリエBへの降格(勝ち点マイナス9)。
  • ACミラン、フィオレンティーナ、ラツィオ:勝ち点剥奪。

絶対王者はその座を追われ、栄光のバッジは剥ぎ取られた。特に2005-06シーズンのスクデットは、当時3位だったインテル・ミラノの手に渡ることになる。この裁定が、後々まで続く深い遺恨の始まりとなった。

2. ルチアーノ・モッジという名の「支配者」

この巨大な事件の中心にいたのが、ルチアーノ・モッジである。
元鉄道員という異色の経歴を持つ彼は、卓越した交渉術と情報網でカルチョの移籍市場を牛耳り、「ラッキー・ルチアーノ」の異名で恐れられた。

彼の電話帳には、選手、代理人、審判、記者、政治家の名前が並び、その一本の電話がクラブの運命を左右した。
ジネディーヌ・ジダン、ズラタン・イブラヒモビッチ、ファビオ・カンナヴァーロ──彼がユヴェントスにもたらしたスターは数知れない。


モッジの哲学は「勝つためにあらゆる手を尽くす」こと。

しかし、その「あらゆる手」は、どこまでが交渉術で、どこからが不正だったのか。

その境界線こそが、カルチョポリの核心だった。

3. 疑惑の核心──「買収」ではなく「関係性」

カルチョポリを語る上で最も重要な点は、世間で誤解されがちな「審判買収」──つまり金銭の授受(賄賂)が一切証明されていないことだ。


検察が問題視したのは、物理的な証拠ではなく、電話越しの「会話」が織りなす無形の「関係性」そのものだった。

 

盗聴記録から浮かび上がったのは、以下のようなやり取りである。

  • 特定の審判を「良い審判だ」と推薦し、担当になるよう働きかける。
  • 試合後の判定に対し、審判指名委員へ執拗に抗議する。
  • 審判本人と直接連絡を取り、心理的なプレッシャーをかける。

これは八百長を直接指示するものではない。しかし、クラブと審判団の間に「馴れ合い」や「貸し借り」のような空気を醸成し、判定が特定のクラブに有利に傾く土壌をつくったと見なされた。
モッジは、ルールブックには書かれていない「影響力のゲーム」を支配しようとした。それが、スポーツの公正さを損なう「構造的な不正」だと断罪されたのである。

4. 「皆やっていた」──葬られたもう一つの真実


裁判を通じて、モッジとユヴェントスは一貫してこう主張した。

「我々がやっていたことは、他のクラブもやっていた」。

当初、この訴えは敗者の言い訳として一蹴された。しかし、事件から数年後、事態は急変する。
最初の捜査ではなぜか無視されていた、膨大な量の未調査の盗聴記録が明るみに出たのだ。

そこには、スクデットを授与されたインテルの当時の会長、故ジャチント・ファッケッティ氏が、審判指名委員と親密に会話する音声がはっきりと残されていた。
内容はモッジのものと酷似しており、特定の審判を要求する場面すらあった。

モッジは、自らが創り出したのではなく、既に存在していた「システム」を最も巧みに利用しただけだったのかもしれない。彼の有名な言葉が、事件の多面性を物語っている。

「システム? システムは誰にとっても同じように機能していた。違いは、ユヴェントスが勝ち、他の者が負けていたことだけだ」

しかし、インテルの疑惑が浮上したときにはすでに時効が成立しており、彼らが裁きの場に立つことはなかった。
こうして、「ユヴェントスだけが悪だった」という物語が完成した。

5. 法廷闘争の結末──「有罪」ではないという現実

スポーツ裁判とは別に、モッジは刑事裁判でも争い続けた。
一審、二審では有罪判決が下るものの、2015年、最高裁判所は最終的な判決を下す。

結論は、「一部の罪状は成立せず、残る主要な罪状(スポーツ詐欺罪)は時効により消滅」。

つまり、法的な意味でモッジの「有罪」は確定しなかった。

むしろ、彼のロビー活動は「不正を構成する証拠はない」とさえ判断された部分もある。
にもかかわらず、サッカー界からの永久追放処分は覆らなかった。

法廷が下した判断と、スポーツ界が下した裁定。二つの異なる結末は、我々に問いかける。
証拠に基づき判断する「法」の正義と、倫理や公正さを重んじる「スポーツ」の正義。果たして、どちらが真実を映しているのだろうか。

十字架が残したもの、そしてカルチョの夜明け

カルチョポリは、一人の男と一つのクラブがカルチョを支配した物語として語られる。
だが、その裏側には、勝者が歴史を創るという冷徹な現実と、裁かれなかった者たちの影が横たわる。

ユヴェントスは、デル・ピエロやブッフォンら忠誠を誓った者たちと共に、セリエBという屈辱の舞台で戦い、一年で帰還した。
あのスキャンダルは、クラブから二つのスクデットを奪い、深い傷跡を残した。
しかし同時に、それは「逆境においてこそ、我々は強くなる」というクラブの哲学を証明する試練ともなった。

モッジが描いた世界が、決して美しいものではなかったことは確かだ。
だが、彼とユヴェントスだけを「絶対悪」として切り捨て、すべてに蓋をすることで、カルチョは本当に清廉になったのだろうか。

失われた王座の真実は、おそらく単純な白黒では描けない。
そして、この事件は本当に、ただの「不正」だったのだろうか。

確かなのは、あの夏を境に、世界最高峰を誇ったセリエAが、そしてW杯を掲げたイタリア代表が、長い没落の道を歩み始めたことだ。

熱狂は失われ、スタジアムから光が消えた。

しかし、物語は終わらない。
凍てついた大地にも春は訪れる。EUROの頂点に返り咲いたアズーリの姿は、新たな時代の到来を予感させた。

あの狂おしいほどの情熱が、セリエAのピッチに帰って来ることを願う。
イタリアのサッカーが、再び世界の中心で輝く日を、一人のファンとして心から信じている。

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