
光を届ける者、光になる者──ディ・マリアという生き方

アルゼンチン中部の街、ロサリオ。世界最高の選手と呼ばれるリオネル・メッシが生まれた街から、もうひとり、代表の歴史に名を刻むことになる男が現れた。アンヘル・ディ・マリアである。
同じ空の下、同じ時代に生まれたふたりは、恵まれた才能だけで頂点に立ったわけではなかった。なかでもディ・マリアは、努力によって「天才に見える男」になった選手だった。光の当たる場所ではなく、影のほうから這い上がり、走り、耐え、信じることで、自分の居場所をつくっていった。
メッシの隣でプレーする彼を、人は「脇役」と呼んだかもしれない。だが、アルゼンチンが歓喜に沸いた決定的な夜には、いつもその名前があった。派手な技巧の裏側にあった、石炭の粉にまみれた少年時代と、家族が積み重ねた犠牲。その物語を、順を追って辿っていく。
石炭工場の少年
ディ・マリアの家は、裕福ではなかった。父ミゲルは石炭置き場で働き、母ディアナも一家を支えた。ディ・マリア自身も、10歳の頃から石炭の仕事を手伝い、15歳になる頃には配達にも出ていたという。


家計は常に苦しかった。ふたりの妹は、欲しいものを買ってもらえなかった。働いて得たお金は、サッカー用具や遠征代に回された。「自分がサッカーをして、スパイクを履くために、妹たちは我慢をした」。彼自身が、そう語っている。家族全員でひとりの少年を支える暮らしが、そこにあった。
だから、これは「夢を見た少年」の物語ではない。「犠牲を背負った少年」の物語である。ボールを蹴ることは、好きだから続けるものである前に、家族の手で守られた未来への責任だった。
地元ロサリオ・セントラルで頭角を現した彼は、2007年、ポルトガルの強豪ベンフィカへ旅立つ。移籍後、ディ・マリアはまず、父に仕事を辞めるよう頼み、家族のために家を買ったと伝えられている。長い間、自分を支えてくれた人たちへ、最初に差し出した恩返しだった。
すべてを捧げるという選択
数年前、ディ・マリアがインスタグラムに投稿した長文が、世界中で話題になった。そこに綴られていたのは、ゴールでもタイトルでもない。泥と汗、土と草、そして日常とサッカーとの関係だった。

投稿の趣旨は、およそ次のようなものである。
皆が遊んでいるとき、僕はサッカーを練習していた。
皆が寝ているとき、僕はサッカーを練習していた。
友達と出かけることも、誕生日を祝うこともなかった。
僕はすべてを犠牲にして、サッカーに人生を捧げた。
月曜から金曜は練習、週末は試合。友達と遊ぶ時間も、家族と過ごす時間も削って、ボールを蹴り続けた。そんな生活が15年、20年と続いた結果が、代表での栄光であり、世界の名門での活躍であり、彼のキャリアのすべてである。
これは、決してストイックな美談ではない。「やらなければ生きていけない」という現実のなかで、彼はサッカーにすがったのだ。笑顔で遊ぶ代わりに、黙って壁に向かってボールを当て続けた。
この投稿に共感したのは、プロ選手だけではなかった。グラウンドで汗を流した経験のあるすべての人、スパイクの中の砂利を覚えている人、雨のなかでも練習を続けたあの日々を思い出す人たちの心を、静かに揺らした。一流の才能よりも、一流の積み重ね。それが、ディ・マリアという選手の真の姿である。
2人の王に愛された“使徒”
ディ・マリアは、レアル・マドリードではクリスティアーノ・ロナウドと、アルゼンチン代表ではリオネル・メッシと、ともに戦った。ふたりのスーパースターを相棒に持つことについて問われた彼は、こう答えている。

「将来、孫たちに伝えたい。世界最高のメッシとクリスティアーノと一緒にプレーできたのは、幸運だったと」
2人の「王」のもとで、誰よりも汗をかき、誰よりも走った。ロナウドにはタイミングを合わせた完璧なクロスを。メッシにはスペースを空ける動きと、局面を打開する突破を。華やかなスターたちの影で、攻撃を成立させていたのは、彼の仕事だった。
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決して目立たない、的確なポジショニング
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チームのバランスを保つ、献身的なプレス
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戦術理解と、即興の共存
誰よりも合理的で、誰よりも犠牲的な選手。しかし、彼は「黒子」で終わる選手ではなかった。
スターがいないとき、彼は光になった
ベンフィカで頭角を現した彼は、やがてレアル・マドリードへ渡る。2014年のチャンピオンズリーグ決勝では、延長戦で攻撃を牽引し、クラブ悲願の「ラ・デシマ」に大きく貢献した。しかし同じ年のワールドカップでは、準々決勝で負った太腿の怪我により、決勝のピッチに立つことができなかった。キャリアの節目ごとに、運命は彼へ試練を課した。代表でも、苦しい時期が続いていた。「線が細くて活躍できない」「パスを出さない」「走れない」。そんな酷評が続き、一時は睡眠薬がなければ眠れなかったと、本人が明かしている。
それでも、彼は努力をやめなかった。結果を出し続け、いつしか、メッシがいるときはメッシの一番の理解者となり、メッシが不在のときは、自らがエースとなった。
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2008年 北京五輪決勝:決勝点を決め、アルゼンチンに金メダルをもたらした
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2021年 コパ・アメリカ決勝:宿敵ブラジルを下す、決勝ゴールを決めた
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2022年 ワールドカップ決勝:PKを獲得し、追加点を決めて試合の流れを引き寄せた
2022年12月18日、ルサイル・スタジアム。ワールドカップ決勝で、ディ・マリアはPKを獲得し、さらに自らも追加点を奪って、チームを優位に導いた。試合後、スタンドで両親と抱き合う姿が、インスタグラムに投稿される。石炭工場で働いた父と母の隣に立つ彼の背中は、あの長い道のりを、無言で語っていた。
スターの補助役を求められながら、いざというときに試合を決めるのはディ・マリアだった。黒子であり、主役でもある。2つの顔を持つ姿は、メッシやロナウドさえも持っていない、もうひとつの美しさだった。
Netflixが映した、男としてのディ・マリア
Netflixのドキュメンタリー『アンヘル・ディ・マリア: ブレイキング・ダウン・ザ・ウォール』には、ピッチの外の素顔が収められている。
世界一のタイトルを手にした男が、カメラの前で見せたのは、勝者の余裕ではなかった。むしろ、守るものを背負い続けてきた人間の、剥き出しの表情である。
涙ながらに、家族を、国を、夢を守りたかったと語る姿。家族と電話で話すときの、温かい声。試合後、誰よりも疲れた表情で座り込む背中。映し出されたのは、ヒーローではなく、ひとりの人間としてのディ・マリアだった。
名声を得たあとも、彼の根にある場所は変わらなかった。故郷の街、家族、そして幼い頃に石炭の粉にまみれて走った道。スーパースターと呼ばれる立場になっても、帰る場所は、いつもそこだった。ピッチに立つたび、あの工場で働いた両親と、我慢を重ねた妹たちの顔を思い浮かべるのだろう。
彼は、天賦の才だけで頂点に立った天才ではない。意志と犠牲と誠実さで、そこまで登りつめた選手である。
天使という名の、静かな光
誰かのスターになる必要は、なかった。けれど彼は、間違いなく誰かの光だった。

「皆が寝ているとき、僕はサッカーをしていた」
華やかさの裏にある汗。スターを支える献身。努力の先にある誇り。その言葉の重みは、忘れてはならないものだ。光を届ける者は、ときに世界を照らす。

Ángel Di Maríaの「Ángel」は、スペイン語で「天使」を意味する。
天使

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