
バロンドール歴代受賞ランキングと日本人の挑戦──中田英寿から三笘・久保へ

毎年秋、パリの夜に一つの名前が読み上げられる。『フランス・フットボール』誌が1956年に創設したバロンドールは、2025年までに69回の授与を重ね、その名簿はそのままフットボール史の縮図となった。
ただ、この賞をめぐる議論は、誰が選ばれたかという「結果」に集まりがちだ。選考方法の仕組みについては別の記事に譲り、本稿では視点を変える。名簿を国別・クラブ別に並べ直したとき、どんな勢力図が浮かび上がるのか。そして、まだその名簿に名を刻めていない日本は、どこまで近づいたのか。
黄金のボールが映し出すのは、栄光の数だけではない。届かなかった距離もまた、一つの物語である。
名簿が描く勢力図──アルゼンチンとフランス、並び立つ8つの星
2025年までの69回を国籍別に集計すると、最多は8回のアルゼンチンとフランスである。アルゼンチンの8回はすべてリオネル・メッシ一人が積み上げたもので、一人の選手が一国の名簿を塗り替えるという、他に例のない構図になっている。一方のフランスは、1958年のレイモン・コパから2025年のウスマン・デンベレまで、ミシェル・プラティニの3連覇、ジャン=ピエール・パパン、ジダン、カリム・ベンゼマと、時代ごとに異なる顔が系譜を紡いできた。同じ8回でも、その成り立ちは対照的だ。なお、初代のスタンリー・マシューズは41歳での受賞で、この最年長記録は今も破られていない。

| 国 | 回数 | 主な受賞者 |
|---|---|---|
| アルゼンチン | 8 | メッシ(8回) |
| フランス | 8 | コパ、プラティニ(3回)、パパン、ジダン、ベンゼマ、デンベレ |
| オランダ | 7 | クライフ(3回)、ファン・バステン(3回)、フリット |
| ドイツ(西ドイツ含む) | 7 | ベッケンバウアー(2回)、ルンメニゲ(2回)、ミュラー、マテウス、ザマー |
| ポルトガル | 7 | クリスティアーノ・ロナウド(5回)、エウゼビオ、フィーゴ |
| イタリア | 5 | シボリ、リベラ、ロッシ、R・バッジョ、カンナバーロ |
| ブラジル | 5 | ロナウド(2回)、リバウド、ロナウジーニョ、カカ |
| イングランド | 5 | マシューズ、チャールトン、キーガン(2回)、オーウェン |
| スペイン | 4 | ディ・ステファノ(2回)、L・スアレス、ロドリ |
| ソ連 | 3 | ヤシン、ブロヒン、ベラノフ |
| 各1回(10か国) | 1 | チェコスロバキア、ハンガリー、スコットランド、北アイルランド、デンマーク、ブルガリア、リベリア、チェコ、ウクライナ、クロアチア |
続くオランダ、ドイツ、ポルトガルの各7回も、少数の傑出した個人が数字を押し上げた国である。オランダはクライフとファン・バステンが3回ずつ、ポルトガルはクリスティアーノ・ロナウドが5回を占める。南米ではブラジルが5回で、ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ、カカと、1997年から2007年にかけて集中した。
そして、この名簿には欧州と南米の外から届いた名前が一つだけある。1995年に受賞したリベリアのジョージ・ウェアだ。授与対象が欧州クラブ所属の外国人選手に広がった最初の年に、アフリカの大地から来たストライカーが頂点に立った。2007年には欧州クラブ所属という条件も外れ、賞は全世界の選手に開かれている。この名簿に名を刻んだアフリカ出身者は、今なお彼ただ一人である。
黄金のボールが集まる場所──白いクラブと赤青のクラブ
受賞時の所属クラブで集計すると、レアル・マドリードとバルセロナがともに12回で並ぶ。合計24回は全体のおよそ3分の1にあたり、ユヴェントスとミランの各8回、インテルの2回を加えたセリエA勢の18回がそれに続く。
| クラブ | 回数 | 主な受賞者 |
|---|---|---|
| レアル・マドリード | 12 | ディ・ステファノ(2回)、コパ、フィーゴ、ロナウド、カンナバーロ、C・ロナウド(4回)、モドリッチ、ベンゼマ |
| バルセロナ | 12 | メッシ(6回)、クライフ(2回)、L・スアレス、ストイチコフ、リバウド、ロナウジーニョ |
| ユヴェントス | 8 | プラティニ(3回)、シボリ、ロッシ、R・バッジョ、ジダン、ネドベド |
| ミラン | 8 | ファン・バステン(3回)、リベラ、フリット、ウェア、シェフチェンコ、カカ |
| バイエルン・ミュンヘン | 5 | ミュラー、ベッケンバウアー(2回)、ルンメニゲ(2回) |
| マンチェスター・ユナイテッド | 4 | ロー、チャールトン、ベスト、C・ロナウド |
| インテル/PSG/ハンブルガーSV/ディナモ・キエフ | 各2 | マテウス、ロナウド/メッシ、デンベレ/キーガン/ブロヒン、ベラノフ |
| 各1回(12クラブ) | 1 | ブラックプール、ディナモ・モスクワ、ベンフィカ、ドゥクラ・プラハ、フェレンツヴァーロシュ、アヤックス、ボルシアMG、マルセイユ、ドルトムント、リバプール、マンチェスター・シティ、インテル・マイアミ |
同じ12回でも、中身は大きく違う。バルセロナの12回のうち半数の6回はメッシ一人のものだ。対するレアル・マドリードはディ・ステファノからベンゼマまで、八つの異なる名前を連ねている。一人の怪物が築いた王国と、時代ごとに星を迎え入れてきた王国。数字が同じでも、クラブの物語は同じではない。
意外なのは、イングランドの数字である。同国のクラブから生まれた受賞者は、ブラックプールのマシューズ、マンチェスター・ユナイテッドの4人、リバプールのオーウェン、マンチェスター・シティのロドリを合わせても計7回にとどまる。「世界最高峰」と称されるプレミアリーグの現在の存在感からすれば、どこか釣り合わない数字だ。この名簿は、リーグの人気ではなく、一人ひとりの選手が積み上げた一年を映している。
二強の12年と、その後に始まった群雄割拠
2008年から2019年までの12回のうち、11回はメッシ(6回)とクリスティアーノ・ロナウド(5回)が分け合った。唯一の例外が2018年のルカ・モドリッチである。ロシアW杯でクロアチアを準優勝に導き、レアル・マドリードをチャンピオンズリーグ3連覇へと押し上げた年だった。

この独占期は、他の名手にとって厚い壁でもあった。2010年、ヴェスレイ・スナイデルはインテルで三冠を達成し、W杯でもオランダを決勝へ導きながら、受賞には届かなかった。実力が拮抗した二人の存在が、票の行き先をほぼ決めていた時代である。
壁が動いたのは2020年代に入ってからだ。2020年は新型コロナウイルスの影響で授与が見送られ、その後は2021年にメッシ、2022年にベンゼマ、2023年に再びメッシ、2024年にロドリ、2025年にデンベレと、受賞者の顔ぶれが入れ替わり続けている。ロドリはスペイン人として1960年のルイス・スアレス以来64年ぶりの受賞者となった。
ポジションの偏りも、名簿は雄弁に語る。GKの受賞は1963年のレフ・ヤシンただ一人で、ディフェンダーでは2006年のファビオ・カンナバーロが最後だ。点を奪う者が讃えられやすい賞であることは、数字がはっきりと示している。
届かなかった黄金──日本人の挑戦
では、この名簿に日本はどこまで近づいたのか。結論から言えば、男子のバロンドールで日本人が得票を記録した例は、確認できる限りまだない。それでも、候補リストという入口には、確かに足跡が残されている。

中田英寿──三度のリスト入り
日本人として最初に候補リストへ名を連ねたのは、中田英寿である。1998年、1999年、2001年と三度、名前が載った。ペルージャでのセリエAデビュー戦、ユヴェントスを相手に2得点を挙げた夜から始まった欧州での挑戦は、世界の記者の目に確かに焼きついたのだろう。ただし得票は、いずれの年も0ポイントに終わっている。
稲本潤一と中村俊輔──二つの道筋
2002年には、日韓W杯でベルギー戦とロシア戦のゴールを決めた稲本潤一が、2007年には、セルティックでスコットランドの年間最優秀選手に輝いた中村俊輔が、それぞれリストに入った。結果は同じく0ポイントだったが、W杯での輝きとクラブでの実績という二つの道筋が、ともに「候補入り」までは通じることを示している。
三笘薫と久保建英──リストの外に見える現在地
現在の日本代表を担う二人はどうか。三笘薫は2022-23シーズン、ブライトンのクラブ史上初の欧州大会出場に主力として貢献した。久保建英は2023-24シーズン、レアル・ソシエダのチャンピオンズリーグ16強入りを支えた。いずれも候補リストに名前は見当たらないが、2022年に中国の有力スポーツ紙『体坛周報』が実施したアジア年間最優秀選手の投票では、三笘が日本人最高の5位に入っている。
なお、女子のバロンドールでは、2023年以降に宮澤ひなた、長谷川唯らが候補リストに入り、2026年には日本人4人が名を連ねた。男子の扉は固く閉じたままだが、日本の足跡が途切れているわけではない。
アジアの夜明けは来るのか
かつて「欧州と南米の独占」と言われたこの賞も、ウェアの受賞が示したとおり、固定された壁ではない。アジアにも、ソン・フンミン(韓国)が2021-22シーズンにアジア人として初めてプレミアリーグの得点王に輝くなど、世界の注目を集める個人は現れ始めている。

歴代の受賞者の顔ぶれを見る限り、必要な条件は明快だ。欧州トップリーグでの継続的な活躍に加え、チャンピオンズリーグやW杯という舞台で、勝敗を左右するインパクトを残すこと。日本人選手がその条件を満たす日は、決して夢物語ではない。
黄金の名簿に残された、余白
69回の授与を重ねた名簿は、一つの時代の勢力図であり、同時に、選ばれなかった者たちの無数の物語でもある。
中田の0ポイントも、稲本の0ポイントも、中村の0ポイントも、空白ではない。誰かがその余白に最初の一行を書き込む日まで、名簿は静かに待っている。
黄金のボールは、いつも次の誰かの足元を探している。
この記事をシェア
STRUCTURE連載「Footballの仕組み」の他の話
全エピソード →今週よく読まれています
7 DAYS01選手物語




コメント準備中
物語の共有者として、あなたの言葉を聞かせてください。