日本サッカー界のレジェンド、中田英寿。
2002年ワールドカップの顔とも言われた彼は、その輝かしいキャリアの絶頂期とも言える29歳で突如現役を引退した。
世界的なスターとなり、イタリアやイングランドの名門クラブで活躍したにも関わらず、なぜ彼はその決断を下したのだろうか?
「僕はサッカーファンじゃない。サッカーをするのが好きなんだ」
衝撃的なこの言葉と共に、
中田英寿本人の口から、英メディア「The Athletic」に語られた。
英語の記事になるが、
ブラウザの翻訳機能や翻訳アプリを見ながら
是非読んでみてください。
翻訳書こうと思ったのですが、
面白ければなんでもよいメンタルのワイが、
文字にしてしまうとなんか大事な想いが伝わらない気がして。
しっかりご自身の目で読んでください。
と記事に飛ぶ前に、改めて彼がどれだけすごかったがちょっとだけ語ろう
中田英寿という選手
もう、語るまでもない世界の頂点に仲間入りしている中田英寿さん。
この写真が示す通り、
世界No1プレイヤーと言っても全く過言ではない
ロナウジーニョ
ジダン
に声をかけれ、
このメンツの中で、
当たり前のようにプレーが出来る日本最高傑作。
もちろん、
遠藤さん、三笘さん、久保さん、、、
現役の選手たちの最近の目覚ましい活躍も
涙がちょちょぎれるほどの凄さがあるのですが、
やっぱり、「中田以上か?」と言われると、
まだまだ頑張ってほしいなと思うばかりです。
そんな彼の半生を書くのも馬鹿らしいですが、
ざっと要約すると、こんなところですかね、
- 若くして日本代表入り: 1997年に20歳で日本代表に初選出され、早くからその才能を開花させました。
- 日本人初のセリエA制覇: 2000-01シーズン、ASローマでリーグ優勝を果たし、日本人として初めてイタリアの頂点に立ちました。
- 日韓ワールドカップでの活躍: 日本代表の中心選手として、自国開催の2002年ワールドカップでチームを初のベスト16に導きました。
- 海外強豪クラブでのプレー: イタリアのペルージャ(1998-2000)、ローマ(2000-2001)、パルマ(2001-2004)、ボローニャ(2004)、フィオレンティーナ(2005)、そしてイングランドのボルトン(2005-2006)で活躍しました。
- 努力を惜しまない姿勢: プロ意識が高く、自主トレーニングや語学学習など、常に
何をもって、日本最高と語るかは、
人それぞれの感想があると思いますが、彼の交友関係という物差しで
考えるとやっぱりすごい人だなと思います
ジダンさん(フランス)
君のせいで負けたよ。(笑)
モウリーニョ監督(ポルトガル)
モウリーニョと対等に会話ができる日本人は、間違いなく彼だけ。笑
フィーゴ(ポルトガル)
「日本人は、[中田英寿]を目指せばよい。」
トッティ(イタリア)
この対談は、本当にDAZNさん素晴らしい。
日々値上がるサブスク料に嫌気がさしてましたが、
コンテンツ力に納得させられました。笑
脱線しました。すみません。
彼のサッカー人生、
そして引退の真相について、さらに深く知りたい方は、
ぜひ情報元の『The Athletic』の記事をお読みください。
『The Athletic』さんに、日本語訳のブログ書かせてって許可取ってみるか。
※メディアが有料だから厳しそうだが、日本人について日本人が読めないなんておかしい!って無意味な根拠の弱いクレーム入れてみよ。笑